社会福祉法人 全国スモンの会

全国スモンの会 活動の歩み

1964年

埼玉県戸田市で多発。戸田奇病として報道される。

1965年

6月/久留米大学・新宮氏ら第65回伝染病学会西日本地区会にて「患者の糞便・血液・髄液からエコー21型ウィルスを分離、スモンの病原ウィルスであろうと考えられる」と報告

1966年

5月/国立予科・甲野氏<内科>誌に新宮説を裏付けるデータはまったくないと報告。スモンはSlow,latent and temperate virus infectionであるとの作業仮説発表。

1969年

9月/スモン調査研究協議会が結成され、第1回総会開催。
11月26日/全国スモンの会結成。東京で結成式。

1970年

3月/スモン調査研究協議会の研究体制に、全国スモンの会会長:相良よしみつと副会長:川村佐和子はスモン研究に社会学的アプローチの必要性を論じ、健康社会学研究班の設置をスモン調査研究協議会(甲野礼作会長)と厚生省に要望。
4月/相良会長、東京都に対し神経専門病院設立をふくむ要望書提出。相良会長ら、都知事と会い医療費軽減、神経病院、研究センター設立を要望。
5月/衆議院・社労委でスモン問題討議。参考人として相良会長、スモン調査研究協議会 甲野会長出席。
6月/東大薬学・田村氏、患者の緑舌から鉄と亜鉛を検出。緑舌の正体はキノホルムと鉄の化合物と断定。
8月/全国スモンの会主催により都知事出席のもと神経病総合センター設立促進講演会開催。

1971年

5月28日/第1次スモン訴訟、相良会長他1名によって、国、製薬会社、医師、病院を相手どり総額1億円の損害賠償請求を東京地裁に提訴。
7月/第1回口頭弁論開催。スモンとキノホルムの因果関係立証に被告の協力求める。

1972年

3月13日/スモン調査研究会「スモンと診断された患者の大多数はキノホルム剤の服用によって神経障害を起こしたもの」と研究総括。その後キノホルム説確立へ。

1974年

4月/相良会長「福祉事業構想」発表。「スモンの終極の対策、救済は訴訟と自立福祉論の連続にある」と主張。

1977年

7月/全国スモンの会は可部和解案受諾を表明。

1978年

10月/曙光園設置場所内定。

1979年

4月11日/社会福祉法人全国スモンの会が認可される。

1981年

10月曙光園建築基準法上の道路を小平市が認定。曙光園建築が許可される。

1982年

5月/建築工事完了。
6月/落成式を迎える。
7月1日/曙光園開所する。
11月20日/曙光の塔建立、除幕。